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Historyレインボーの歴史

レクスエアの始まり

1920年ジョン・W・ニューコンブのアイデアで紙パックなしでもホコリとその他のゴミを分離する事ができる『セパレーター』を開発した。 レスリー・H・グリーンはそのセパレーターにはかなりのポテンシャルがあると思い、ニューコンブと手を組み製品化にむけて研究開発した。 1929年世界恐慌が始まった年にグリーンはレクスエア社を設立し、販売を開始した。
レクスエア社の意味は「King of the Air」空気の王様という意味。

レクスエアが注目されはじめる

1936年T・ラス・ヒルがレクスエア社に入社。ある日ヒルは「Wet Dust Can’t Fly」濡れたホコリは舞わないという事を発見し、水をフィルターにする事を思い付き製品化した。 この時にレクスエア社のスローガン「Wet Dust Can’t Fly」濡れたホコリは舞わないが生まれる。
1930年代後半、水フィルター式掃除機の販売を開始した事により、レクスエアのイメージはただの掃除機メーカーから変わった。アレルギーや喘息をもっている方々から評価され、医者からも認められる商品になった。

戦争の年

第二次世界大戦時レクスエア社はオハイヨ州にあるマーティンパリ―社と合併し生産能力を上げた。戦時中、レーダーやロケット発射台などを製造し大戦勝利に大きく貢献した。 戦後、レクスエア社は経済バブルの波に乗れる産業になっていった。アメリカの一般家庭にレクスエア社が認知されだしたのもこの時期である。

ビジネスチャンスを広げるターニングポイント

1948年ケンタッキー州出身の1人の若い営業マンの入社により売上は爆発的に伸びた。彼の名前はJ・V・サンダーズ。
サンダーズはある日レクスエアのデモを見て、これだったらこの会社のトップセールスになれると思った。
1953年サンダーズはエリアマネージャーになり国内セールスのトップになった。

レインボーが生まれた年

1955年ここで初めて「レインボー」という商品名になり生まれ変わった。非常に強い吸引力とエリアマネージャーのビジョンとやる気で新型レインボーはトップセラーになり、企業はどんどん成長した。

未来に向けての第一歩

1959年2月サンダースはレクスエアの社長に就任。
新しいスローガン「大きい夢は必ず実現する」を発表。レインボービジネスをみんなに広げていった。 サンダースはレインボーの代理店システムを創り、一般の営業から代理店まで自分の目標、販売ポリシーを持って独立してレインボービジネスをやれる様になった。

商品開発能力の向上

1969年工場は現在レクスエア社の本社があるキャデラックシティに移転した。工場の大きさは10万スクエアフィート(9290.304平方メートル)最新設備を導入した工場で商品開発はどんどん進み、新しいアタッチメントやパワーノズルなどの開発に成功した。
その後1980年再び新しいモーターを開発し、水も吸える様に進化した新しいレインボー、D3モデルが誕生した。

世界に広がる

1947年カナダ、キューバ、メキシコに拡大。本格的に世界に広がったのは1980年代後半、国際代理店ネットワークを作り、それぞれの国にあった商品の製造を開始。
5年間の研究開発の結果、1986年にD4を誕生。サンダース曰く世界最高の掃除機が誕生した。

新しい時代

2001年にポール・ヴィトビッチ(現会長)がCEOに就任。ポールは1971年に入社。持ち前のリーダーシップやアイデアなどで営業からエリアマネージャーなどを経て、レクスエアのCEOになった。

未来に向けて再び

2011年E2を発表。莫大な研究開発費の結果、今までなかった高いレベルの商品の開発に成功。
現在、世界各国で販売台数が増加。最新のテクノロジーがある工場で研究開発し世界トップレベルの製品を提供している。

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